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ツタンカーメン展へ行ってきました。
土曜だったんですごく混んでたよぉ~。
故宮博物院並み。。
60分待ち。。。

まぁ珍しいことだから行ってみる価値はあると思ったのです。

で、分かったことは…

ツタンカーメンのお父さんとお母さんは兄弟の関係。
古代エジプトにおいてふんころがしは神の使い。
ツタンカーメンの椅子は子供椅子並みに小さい。装飾は鮮やかだけどね。。


ちなみに帰り際に路上で大道芸をやってました。
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いかじゅうさんとこの掲示板で、子供時代のお年玉の管理方法について議論していたんだけども...ちょっと自分の場合を書いてみます。

親が管理するだとか、もらったはずなのに使うときは申告制ってことはないです。はっきり言って自由です。だからといって際限なく使うってことはなかった。。基本的に預金してました。1歳半から自分名義の口座があったんで、銀行が開く1/4辺りに銀行に行って殆ど預金してましたね。家の2軒隣が銀行だったんで。。

ちまちまと預金に励んでましたわw。むかしは銀行も景気が良くて利息もガンガン付くし、たかだか500円預けただけでも鉛筆とか粗品が付いてくるんですよ。。そういうのがたぶん楽しかったんでしょうなぁ...

預金したお金はずっと下ろさなくて10万くらいになってました。欲しいモノとか物欲があまりないんですよねぇ。。今もそうだけど、千円単位で買えるようなモノで興味の沸くモノって…ないんですよ。ぶっちゃけゲームとかには無頓着だし、ワカラナイシorz。ミニ四駆とかプラモとか少しは買ったけど没頭はしてなかった。そのむかしいかじゅうさんから“無関心”って評価を受けましたけど、たしかにそういう気はあるかも?

お金を払って得られる快楽とその払う額とを天秤にかけてみると、モノの方が大体軽いんですよ自分の中では。“これが欲しい!”って気持ちより、“そんなに払うほどの価値があるか?”ってなっちゃう。。我慢してるんじゃなくてそうなっちゃうんです。まぁ向こうも商売ですから購買意欲をそそる商品を出してくるわけで、そういう戦略にまんまとはまらない遣りづらい客なんですわ。(笑)

ただ、中学くらいにカードを作ってそれで下ろす癖がついてしまって、預金が半分くらいに減りましたorz。便利なんでつい下ろしてしまうんですよ。とくに欲しいモノがあるわけじゃなくても、中学くらいになると何か遊んだりとか自然消滅していく部分があるじゃないですか。。それで阻止するために初めて規制がかかって、定期預金なるものに移行したのを覚えています。

お金はですねぇ~節約してるんじゃないことは、頻繁に旅行していることからも窺えることかと思います。時間もお金もいっぱい使ってあとにはカタチとして何も残らない旅行につぎ込むだけの価値が自分の中にはあるんですよ。きっと。。

今世間が注目のリア・ディゾンのブログを覗いて観たんだ♪

そこにはたぶんリアが書いたか、言ったであろう英語の原文と、その訳の日本語文が同時に載っている。

思うに、これって英会話の教材としてけっこう使えるんじゃね!?ってこと。ちょっと加筆修正すれば英会話ビジネスとしてありだと思いますね。何だか分からない物語の設定で白々しく進められる英会話文例集よりすごいやる気が出ますよきっと。。(笑)

いちばん役に立ちそうな一般生活におけるちょっとした言葉の表現やニュアンスが従来の文例集より優れてる気がしますし。。教材として彼女が載ってるDVDなんて付けると即買いだとw。いやぁ~勉強のためだ!って誤魔化せるし。。(爆)

道内に滞在中、夜中TVであるドキュメント番組を観た。福島で3年程前に柔道部の部活動中にリンチを受けた少女が、意識不明になり未だ意識が回復しておらず、寝たきりが続いているというもの...。理由はその少女が練習中に何らかの負傷を追ってしまい、休憩をとっているところ、先輩の部員のかなり権力(?)のある者が激怒し、引き釣り回したり暴行を加えたりしてそうなってしまったようだ。。

この当時監督や顧問である教職員は所用で現場には居合わせず、生徒達だけで練習(リンチ)が行われていたようだ。まぁおそらくこの日に限ってのことじゃなく、ほぼ毎日いないモノだと思われるのだが。。これに関しての学校側の責任やら何やら言われているし、学校側はその否や責任を受け止めようとしない姿勢…。

親の立場からしてみると、怒りや悲しみ、憤り、虚しさ、遣る瀬無さ...そういったものが渦巻いてるのだろうか。叫び狂い全てを破壊したい気もするし、倒れこみ蹲って、もうどうにでもして!って感じなんだろうか。。もっとも近い心境を一言で表すなら、『北斗の拳』で悪党に理不尽な殺され方をする村人が、目に涙を溜め“なぜ?”ってつぶやくシーンがそれに近いと思う。

こんな非道徳的なことが、しかも学校という教育機関内にあってもよいものなのか??酷なことを言うようだが、事実あるんだし、あってもしょうがないとも思う。

これは自分には理解し難いんだが、危険人物ってのは必ずいると思う。ナイフを振り回すのも、過度に暴力を振るうのも…これって少し考えれば結果どうなるか分かると思うんだが、冷静に後先のことを考えれない人種。。道徳って教えられて養うもんじゃなく、人の潜在意識の中に宿ってるもんだと思う。おそらく暴力を振るう人間ってのは、闘争心が強いって言うか、思いやりや共存っていうより、何か遺伝子的にサバイバルな環境を生き抜く手段として機能している気さえする。。

こういった事実をどう受け止め、乗り越えていくか?自分の考えは、これは運と危険を察知、回避する能力だと思う。何だかんだ御託を並べたって通じない者には通じない。“あ!こいつ危ないな。”って思ったらなるべく遠く離れて関わらないようにするのが賢明だと思う。何も肩をたたき合い、分かち合おうなんて烏滸がましい考えなんて持つ必要なんてない。とりあえず自分さえ助かればいいのだ。生きるということはつまりそういうことだと思う。。

動物を見てみよ!誰かが虐められていたり、被害にあっていても他は見てみぬ振りではないか?!しかもどんなに理不尽なやられ方をしても、文句を言おうともせず、現実を静かに受け止め、直るなら独り静かに傷を舐め回復を待つ、或いは恨みっこなしで死んでいく...。あぁこれが生きるということなんだろうか。。。感情を持った人間はややこしい。こんな見えないものに日々惑わされ続けているなんて。。

今日、出勤途中に通る地元の小学校の校門の前で、数人の子供らが写生をしてたんですね。しかも被写体が向かいの民家…w( ̄Д ̄;)ってそんなもうちょっとまともなモン描きましょうや。しかも数人ってのがギモン。。推測でたぶんこの数人の児童ってのは、以前写生会ってのがあってどっかに描きに行ったのだけれど、たまたまその時休んでたとか言う理由で、その穴埋め的に手短に近所で写生をさせられている。もうすぐ冬休みだし、図工の成績をつけなければならないって何かそんな気がしますね。。いや、しかしせいぜい屋上に行って見下ろす街並みってくらいを描くべきかと思うんですが。。まったくやる気がないと言うか、やらされてる感全開ですからww。

でも絵画に限らず美術や図工って教育面で思うのには、教えられるって言うか、最初からもうセンスのみで評価されてる気がしますね。いきなり描けって言われて紙とペン、絵の具を渡されても、うまく出来るわけがない。と言うよりか教育ならば、その構図やらスケッチの仕方、色の付け方を指導・助言してくれるべきなんだが、そんなことをされた記憶は一つもない。どうせならもっと実用的に、かんたんに描けるイラストやら似顔絵、うまくなくてもうまく見えるような誤魔化し方(爆)やらアレンジを教えるべきかと。
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